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コラム

Roberta di Camerino(ロベルタ ディ カメリーノ)

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ヴェネツィアが生んだ芸術(ファッション)

アドリア海沿いに浮かぶ美しい街イタリアはヴェネツィア。
小さな島々を400もの橋で繋ぐ、幻想的な水の都。

そんな  街そのものが芸術  なヴェネツィアで生まれたジュリアーナ・カメリーノ。

そしてそんな彼女が生んだのが『Roberta di Camerino』

ブランド名は知らなくとも、
このブランドマークは知ってる、という方は多いんじゃないでしょうか。

紺緑赤のロベルタカラーで知られるRoberta di Camerinoは、
踊るように描かれた”R”マークを、ベルトのようにデザインしたロゴマークが特徴。

ないなら創ればいい

その昔マリー・アントワネットが言ったとか言わないとか、な
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」

この言葉と、ジュリアーナ・カメリーノがその昔言った
「ないなら創ればいいじゃない」は音が似ているだけで非なるもの。

イタリア・ヴェネツィアの上流階級に属する、
裕福なユダヤ人の家庭に生まれた彼女。

しかし彼女が18歳の時、
世界を、そしてユダヤ人を恐怖に陥れた第二次世界大戦が勃発。

ヴェネチアにもユダヤ人迫害が広がってきた1938年。
彼女は小さな子供と夫と共にスイスに亡命。

かといって、スイスでも、ユダヤ人に対する風当たりは強く、
息をひそめて生活する毎日。

そんな中、彼女がお散歩をしていた時、
1人の婦人に声をかけられました。

「あなたのそのバッグ売って下さらない?」

そのバッグは、ジュリアーナがその昔ヴェネチアで買ったものでした。

時代が時代。
少しでもお金になれば、とそのバッグを売ったジュリアーナは
代わりのバッグを探しますが…

ない!
どこ探してもない!
「ないなら作るまで!」

これこそが、彼女が自分自身のモノづくりの才能に気づいた瞬間でした。

 

再びヴェネチアへ

イタリアで戦争が終わりかけていた1945年。

スイスでの身の安全は確保されているものの、
窮屈にはかわりない亡命生活にピリオドを打ち、
彼女は、彼女が愛してやまないヴェネチアに戻る決心をします。

その後、彼女は自身の能力を磨き、
強い味方を手に入れ、
1947年『Roberta di Camerino』を立ち上げ。

彼女の作品は、戦後、色をなくしたイタリアに彩りと色を注ぎ始めます。

その結果、彼女のバッグの評判はあっという間にイタリアに拡がり、
アメリカはもとより、世界に名を知らしめることとなるのです。

私のバッグで人を幸せな気持ちにできれば。

ジュリアーナのモノ創りの原点は、ただひたすらに1つ。
「人を幸せな気持ちにしたい」

そんな愛に溢れた彼女の言葉。

創造は、
人生と、世の中の新しいこと、美しいもの、
全てに対する私の愛の表現です。

最後に、そんな愛に溢れたジュリアーナのバッグをいくつかご紹介。

ブレない美しさ。
彼女自身の、芯のある美しさを感じるアイテムの数々。

すべてのはじまりは、1943年に売れた1つのバッグ。

時代に翻弄されながらも、
時代と流行りに流されることなく、
愛と誇りを持って、
自分だけの人生でなく、世界中の人の人生に、
ファッションをもって彩りを添えたジュリアーナ・カメリーノ。

彼女の人となりを知ってしまった今。
『Roberta di Camerino』のバッグを持ってみたい。
1つでいいから持っておきたい。
そんな風に想ったのは、私だけじゃないはずです。

気になった方はこちらをCHECKしてみて下さい。

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